任意整理を始めた、子供2人ありのシングルマザーです。早く人間になりたい!パチスロ依存の克服と楽しく明るく節約を楽しみ、ゆとりある暮らしを目指します!!
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何故か和やかなモト亭主との電話・・・2
2006年11月10日 (金) | 編集 |
結婚して、子供を2人もうけ、節約し、パートで働きまくり、主人と協力してマイホームも早々に購入した。私は自力のリフォームが大好きで、洋裁や大工仕事まがいのこともし、家の壁紙まで自分で張替え、ペンキ塗りもし・・・雑誌に掲載されたこともあった。

だれからも幸せな家庭・・・と思われていたに違いない。

子供関係のお母さんたちからは「○○さんチはいいよね~。ご主人もマジメだし。ママはいつもキレイにしてて家もステキだしね~」といわれていた時代があった・・・orz

ところが内情は違ったのだ。私は悶々と生きていた。
単なるワガママだ、子供がいるのだからと自分を抑えて悶々と10数年の結婚生活を続けてきた。

でも、ガマンしていた期間が長かったのか一気に爆発した。
爆発した私は手がつけられなくなった。親は離婚したら勘当するといった。私は泣きながら、しまいには「ええ、結構です!!」と電話をガチャンと切った。私が親に反抗したのは、それが最初で最後だった。

もうガマンできないので、離婚してください・・・と言ったら、ダンナは呆然としていた。そりゃそうだ・・・今まで会話しようとしても話にならずにすべて黙っていた。ダンナにしてみれば狐につままれたような事態だったろう。

これから先、話をしたくてもちゃんと話をしてくれないアナタと、子供が大きくなった後、何を話して一緒に生きていけばよいのですか?なんの会話もなく、共通の趣味もなく・・・。それで一緒に暮らしていて楽しいのですか?子供が巣立ったら、私とアナタだけなのですよ?
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何故か和やかなモト亭主との電話・・・1
2006年11月10日 (金) | 編集 |
離婚したのが、丁度6年前でしょうか?性格の不一致というのが原因でありまして・・・たとえばですね

「ねね、家族でカラオケいこ~じぇ~!!」
「あ・・・どうぞ行ってきてください^^ ボクは留守番してますよ^^」
(と、小説を読んでいる・・・モト亭主)

「ねね、ボーリングいかない?」
「う~ん・・・留守番してるから、行ってきていいですよ。ご飯も適当にしときますから」(と、小説を読んでいる・・・そして、ホントに適当にパンだけを食っている)
よって、家族で遊んで外食でもして楽しもうと思っていても・・・ダンナがパンだけ食っているのに、自分たちだけ外食できない遠慮で、家に早々に帰る・・・orz

「今日さ~子供の学校でさ○×※●・・・!!」
「そうですか^^」
「・・・」(ソレだけかよ・・・)

「パート先でさ!社員の人がね○×※●!!ムカつくわ!!」
「それなら、辞めたらどうですか?^^」
「・・・」(それだけかよ・・・)

そして日曜日・・・
「子供と遊んでやってよ」(マンションの真ん前は公園である)
「うん」
そして1時間もたたないウチに
「ただいま~!^^」
「・・・」(遊んできたのかよ?)
子供「お菓子かってもらった~^^」(お菓子を買いにいっただけであった)
モト亭主・・・本を読んでいる・・・。
毎週である・・・。

あまりにおハナシにならないので、20代の頃はブチキレて「もっと話をきいてよ!!」と詰め寄ったことがあった。主人は「すみませんでした。これから気をつけます・・・;;」と言ったが、変わらなかった。
そのうちに、私は話をしなくなった。
私に興味がないんだな・・・と思った。
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天国からの手紙3
2006年11月04日 (土) | 編集 |
その頃、私の子供は、上が幼稚園、下の子が3歳という・・・丁度、父親と私が別れた年齢でした。

父は末期のガンだということでしたので、毎日が心配でした。今頃亡くなっているのではないかと。

やはり会いに行くべきだったのだろうか?
いや、これで良かったのだ・・・。

それの繰り返しの日々を送っていました。

ある晩のことでした。
家族4人で寝ているときのことでした。

昼間はパートと子供の世話でつかれきっている私は、子供が泣いたりしない限りは起きることはありませんでしたが、その時は、ふっと目が覚めたのでした。
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天国からの手紙2
2006年11月04日 (土) | 編集 |
自分が大きくなるにつれ、自分の本当のルーツというものを知りたくなりました。自分の以前の姓は何だったのか?父親はどういう人だったのか?とても知りたくなったのです。

大学生になった頃です。母の再婚前に私の世話をしてくれていた叔母を訪ねました。母と叔母は犬猿の仲になっており、恐らく私が父親のことを叔母に尋ねても、叔母はそのことを母には告げないと確信していたからです。

叔母は「知っていたのね・・・」と泣き出しました。父親は確かにギャンブル好きで定職も持たずにロクな男ではなかったようです。ただ、私のことは本当に可愛がっており、一緒にいるときは肩車をしたり抱っこをしたり子煩悩だったようです。そして離婚時には、父は私の養育権を主張したということも知りました。どうしても私だけは手放したくなかったとのことでした・・・。

そして離婚後もしばらくは誕生日などのお祝いの際には必ず、プレゼントを叔母の元に送ってきていたことも知りました・・・。そのプレゼントは私に渡されることはありませんでした。私は父親に捨てられたのかと恨んでいた気持ちはなくなりました。しかし、叔母は続けてこう言ったのです。

お父さんね、ガンで亡くなったって・・・大分たってから人づてに聞いたのよ。

ショックでした。一度も会えないまま「お父さん」と呼べないままに、彼は亡くなっていたのでした。

そして、それ以来、時折辛いことがあるときは「お父さん、どうか助けてください」と思うことが多くなっていきました。

ところが、それから10年以上も経ってからの、いきなりの電話です。

お父さんがガンなのよ・・・。
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天国からの手紙1
2006年11月04日 (土) | 編集 |
「天国からの手紙」という番組があります。江原啓之さんの番組です。亡くなった家族から、残された家族へのメッセージを伝えるというものです。毎回見るたびに涙し、思い出されることがあります。

私の産みの父のことです。

以前にもブログにも書きましたが、産みの父親というのは「飲む・打つ・買う」を全部やっており、借金取りが家に来るような人でした。私が3歳4歳の頃なので、遠いセピア色の記憶です。

父親は家にいることは滅多になく、その頃の思い出といえば、母親に手を繋がれて銭湯に行ったこと・・・おもちゃ屋さんで赤いジョウロを買ってもらい、母親と砂場で遊んだこと・・・。父との想い出は全くありません。

父の顔も思い出せません。覚えているのは、母親に連れられて「パパが中にいるからね・・・」と、店の中に一人進んでいくと、四角いテーブルの周りに男の人が4人いて、私はその一人に名前を呼ばれ、膝に座ったことです。目の前には小さな四角い文字のかいた「積み木」が沢山ありました。雀荘でした・・・。それが父でした。

想い出はそれだけです。子供と言うのは不思議なもので、父親がいなくて寂しいと思うのは、恐らくもっと大きくなってからなのでしょう。父親がいなくて寂しいと思った記憶は、その頃はありませんでした。

両親は離婚しました。私は引越しをするので飼っていた「うさぎ」を手放すように言われました。白いうさぎを2羽飼っていました。とても大好きなうさぎでしたが、近くの幼稚園にあげることになったらしく、母に連れられ私はうさぎを抱いて、その幼稚園に行きました。ウサギ小屋に自分のうさぎを放しました。

母に手を繋がれて、何度も何度もウサギ小屋を振り返り、泣きながら歩いた覚えがあります。

それから何十年も経ち、結婚して子供を産んだ後に、知らない人から電話がかかってきたのでした。
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お願いだから子供を虐待しないで
2006年11月01日 (水) | 編集 |
今、自分が大人になって子供がいます。
母は大分歳をとって、穏やかになりました。あの頃のような激情的なことはなくなりました。単に年老いただけなのでしょうが。

いまだに何か事件があるとヒステリックになるのは、変わりません。あれは精神的に何か病気じゃないかと思います。暴力は妹・弟ともに私ほどではありませんでしたが、言葉の過激さは兄弟にも及んでいました。

父に対してもそうです。彼女はどこか心が病んでいるのだと思います。そしてその心の病は彼女の生い立ちによるものだと思います。

話せば長くなりますが、彼女自身も母親に対して憎悪の気持ちと愛情と両方を持っていました。年老いて、自分の母親の話をするときに、自分の母親が自分にした仕打ちを話しながら泣き、そして「それでも自分の母親なんだよね・・・」と、お彼岸にはお墓参りをかかしません。

因果がめぐるというのでしょうか、私も母に対して同じ気持ちがあります。母親自身は私がそういう気持ちであるとは、夢にも思っていないでしょう。

親子のつながりほど、人生を大きく変えるものは無いと思います。そして幼児期のその親子の関係が、その後の人間形成に大きく影響します。

幼児虐待による子供の死亡、はたまた心無い大人のせいで子供達が自ら死を選ぶニュースをみる度に、心が痛みます。なぜ弱い子供を責めるのか。

それは氷山の一角で、死亡までには至らなくても、恐らくどこか自分の家の近所でもおこなわれているだろうとも思えます。

ストレスが多い上に、少人数の家族が多い分、子供を抱えて一人で悩む母親がどれだけ多くなったのか。現代の病なのかもしれません。
子供は親を選べない・・・といわれますが
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どんな母親でも母親だという悲しい血2
2006年11月01日 (水) | 編集 |
母は、私が多少大きくなると、自分の体力もままならなくなったのか言葉の暴力がひどくなりました。

アンタなんか産まなきゃよかった。
叔母さんの家の子になるなんて、よく言えたもんだ、この恩知らず。

5,6歳の頃にいった言葉を、大人になり子供もいるような年齢になった今でさえ、言います。

中学生になり、夜自分の部屋で勉強をしていました。一人きりで心細いのでラジオにイヤホンをさして勉強をしていたのですが、突然部屋のドアがバンッ!と開きました。

なにやってんの?!

勉強してるんだけど・・・。

いつまで起きてんのよ!サッサと寝なさいよ!
と、鬼の形相で叫ぶと、部屋を出て行きました。

またある時は、布団に入り考え事をしていると、やはりドアがパンッとあきました。

なにやってんの?!

あ・・・ちょっと考え事を・・・

は?ふざけんな!子供のクセに考え事なんてしてないで、サッサと寝なさいよ!!

正直言って、意味不明です。恐らく姑のことで、何かあったのでしょう。
彼女は、自分がイライラすると、一番弱い私をいじめることでストレスを解消していたのだとしか思えませんでした。
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どんな母親でも母親だという悲しい血
2006年11月01日 (水) | 編集 |
そんな母親でしたが、子供と言うのは不思議なもので、やはり母親なのです。私は叔母たちに世話になっていましたが、夜寝る頃になると「ママは?」と言ったそうです。

その話は大分大きくなってから叔母に聞きました。
叔母は「ママはもう少ししたら帰ってくるからね^^」と私に言ったそうですが、なかなか寝なかったようです。

仕方なく、叔母は「それじゃママが帰ってくるのを待っていようか^^」といいながら、寒い冬には私を抱っこしてハンテンにくるみ玄関で椅子に座りお話をしながら、私が寝付くまでじっとしていたそうです。

叔父にも世話になりました。なかなか寝付かない私は「もう寝る時間だよ」といわれると、ある時は叔父の布団にもぐりこみました。叔父は「アリババと40人の盗賊」というお話をしてくれました。

私はそのお話が大好きで、叔父がとてもお話の上手な人だったのもあるのですが、何度も何度もせがんだものでした。

母がいないと寂しいという気持ちと裏腹に、母がいないと幸せでした。優しい叔父や叔母と一緒に暮らしていることが幸せでした。

ところが、ある時引越しをすることになったのです。

母は再婚したのでした。母が再婚したということよりも、私は叔父や叔母と一緒に暮らせなることの悲しさが大きく、行きたくないと泣きました。その後、「行きたくない」と泣いたことが、母の反感を買い私への虐待は進んでいくことになりました。
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子供の頃受けた母からの虐待2
2006年11月01日 (水) | 編集 |
結局、両親は離婚したようで、しばらくは母の実家で暮らしました。実家といっても祖父母は亡くなっていましたので、母の兄弟が住んでいる家でした。

母は生活の為に、夜の水商売に出ていたようでした。私は昼間、母の寝ている姿しか覚えていません。代わりに母の姉と妹が世話をしてくれました。

その頃の母の記憶は、気が狂ったように鬼の形相で怒っている顔しか思い出せません。今、自分が母親になって思えば、自分の人生を呪って精神的にかなりイライラしていたのだと思います。当時の母はまだ20代でした。

そんなことは、子供にはわかりません。ただただ、母が怖かった。
母は怒ると、大きな声でヒステリックに怒鳴り散らし、私の髪の毛をわし掴みにして振り回しました。
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子供の頃受けた母からの虐待1
2006年11月01日 (水) | 編集 |
借金を親に知られたくないという恐怖が人より強いのか、異常なくらい不安であります。簡単に言えば、ウチが教育者の堅い家庭だということなのです。

実はそれだけではありません。ウチの母は私が5歳くらいの頃再婚し、私は連れ子でした。私の後に次の父親との子供が2人産まれました。要するに私だけ前夫の子供ということです。新しい父親はとても良い人で、兄弟の分け隔てなく、なに不自由なく幸せに暮らしてきました。

私の産みの父親というのは、コレがまた「飲む・打つ・買う」をして借金取りが家にくるようなヤツだったそうです。大分大人になってから母から聞きましたが、実際セピア色になって思い出せる映像があります。

古い木造のアパートの部屋で積み木をしていると、台所にいた母が突然、私の手をひいて外に飛び出ました。アパートを出てすぐに男性2人とスレ違いました。母の様子は子供心にかなり切羽詰った様でした。

大分大人になったころ、それを思い出して判ったのです。
あれは借金取りだったんだ・・・。

父の面影は殆ど覚えていません。
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