任意整理を始めた、子供2人ありのシングルマザーです。早く人間になりたい!パチスロ依存の克服と楽しく明るく節約を楽しみ、ゆとりある暮らしを目指します!!
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
どんな母親でも母親だという悲しい血
2006年11月01日 (水) | 編集 |
そんな母親でしたが、子供と言うのは不思議なもので、やはり母親なのです。私は叔母たちに世話になっていましたが、夜寝る頃になると「ママは?」と言ったそうです。

その話は大分大きくなってから叔母に聞きました。
叔母は「ママはもう少ししたら帰ってくるからね^^」と私に言ったそうですが、なかなか寝なかったようです。

仕方なく、叔母は「それじゃママが帰ってくるのを待っていようか^^」といいながら、寒い冬には私を抱っこしてハンテンにくるみ玄関で椅子に座りお話をしながら、私が寝付くまでじっとしていたそうです。

叔父にも世話になりました。なかなか寝付かない私は「もう寝る時間だよ」といわれると、ある時は叔父の布団にもぐりこみました。叔父は「アリババと40人の盗賊」というお話をしてくれました。

私はそのお話が大好きで、叔父がとてもお話の上手な人だったのもあるのですが、何度も何度もせがんだものでした。

母がいないと寂しいという気持ちと裏腹に、母がいないと幸せでした。優しい叔父や叔母と一緒に暮らしていることが幸せでした。

ところが、ある時引越しをすることになったのです。

母は再婚したのでした。母が再婚したということよりも、私は叔父や叔母と一緒に暮らせなることの悲しさが大きく、行きたくないと泣きました。その後、「行きたくない」と泣いたことが、母の反感を買い私への虐待は進んでいくことになりました。
その頃、私は小学校の1年生になっていました。学校も転校でした。新しい父親はとても優しい人でした。妹も生まれました。母は多少安定してきたようでした。

父親は夕方仕事から戻ると、まるで本当の父親のように私と遊んでくれました。お馬さんゴッコをして背中に乗せてくれたり、腕に私をぶら下げてグルグルと回してくれたり、外でも一緒にボール投げをしてくれました。休みの日にはハイキングに連れて行ってくれました。父には、いまだにとても感謝しています。本当の父親以上に父です。

その父のお陰で、私は私立の高校にも行き、都内にある有名だといわれるカトリック系の大学にも入学させてくれました。入学金と学費は想像以上にかかったと思います。実の娘ではないのに・・・すべては父のお陰だと思っています。

母の方は落ち着いたかのように思えましたが、しばらくして姑と暮らすことになってから、またそのイライラのほこさきは私に向かいました。小学生のことです。多少のイタズラや失敗は当然だと、今母親になって思うのですが。やはり怒り方は異常でした。

私は逆さに足を持たれてお風呂場に頭からつけられたことがあります。
真冬の寒いさなか、お風呂場の冷たいタイルの上に素足で正座させられて、頭の上に水が入ったバケツを持たされました。

重さで少しでも動くと、水が落ちてきます。

正直いって、これが拷問以外のなにものなのでしょうか?
恐らく、ハッキリいって幼児虐待です。
アメリカのある州であれば、彼女は逮捕されていると思います。

その頃から、母親に対する恐怖心は定着しました。
母親は怖い・・・というのは当たり前ですが、そうではなくて「殺される」的な怖さです。

包丁をつきつけられたことすらありました。小学生ですよ・・・。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。